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フォッカー アインデッカー : ミニ英和和英辞書
フォッカー アインデッカー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

カー : [かー]
 【名詞】 1. car 2. (n) car
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

フォッカー アインデッカー : ウィキペディア日本語版
フォッカー アインデッカー[ちょうおん]

フォッカー アインデッカー(Fokker Eindecker)は、オランダ人技術者アントニー・フォッカーが設計した第一次世界大戦時のドイツの単座単葉戦闘機である〔Boyne 1988〕。「アインデッカー(Eindecker)」とは単葉機を意味するドイツ語である。フォッカー E.IからE.IVまでの機体を指す。
当機は、パイロットがプロペラを打ち抜くことなくその回転面を通して機関銃を発射することのできる同調装置を備え、対空戦闘を目的に量産された最初の戦闘機でもあった〔河野嘉之『図解戦闘機』新紀元社46頁〕〔。その威力を発揮し「フォッカーの懲罰(Fokker Scourge)」として連合国から恐れられた。
== 歴史 ==

=== 開発 ===

アインデッカーは非武装の索敵機フォッカー A.IIIをベースとし(A.III自体はフランス製のモラーヌ・ソルニエ H肩翼単葉機とほぼ同じ機体だった)、それにパラベルムMG14機関銃1挺と、それを制御するプロペラ同調装置を付けたものだった。アントニー・フォッカーはこのシステムの私的なデモンストレーションを1915年5月23日に行ったが、その際彼は試作機を自分の牽引車でベルリン近くの軍の飛行場まで牽引して行った〔Dierikx 1997, p. 31.〕。
アインデッカーの最初の試作機であるフォッカー第216号機を生み出すに至る経緯には、オットー・パーシャウ少尉が深く係わっている。少尉は第一次世界大戦の開始間もなく、フォッカーAシリーズ単葉機の216号機(シリアルA.16/15)を与えられた。その時は非武装だったこの機体には緑色の塗装が施されていた〔vanWyngarden 2006, pg. 9.〕。パーシャウはその胴体右側面上部のコックピットの直後に「Lt. Parschau(パーシャウ少尉)」と大書して、大戦の最初の1年のほとんどをこの機とともに過ごし、ドイツ帝国の東西両方の戦線で活動した。
1915年、フランス空軍のローラン・ギャロスモラーヌ・ソルニエ Lを改修して中心線に固定銃を積んで戦闘機の思想を生んだが、1915年6月にアインデッカーは最初から機銃を装備して量産を開始した最初の戦闘機となる〔河野嘉之『図解戦闘機』新紀元社46頁〕。フォッカー工場はパーシャウ機の武装として、プロペラ同調装置付きパラベルムMG14機関銃を取り付けた。パーシャウはそのパラベルム銃をもって同年6月、何度かの空中戦を試みたが、彼の緑の飛行機の機銃は戦闘時には毎度のように故障した。また、パーシャウ機にはコックピット後方に、おそらくE.IIの生産型以降に装備されたものと同様に主燃料タンクを置いていた。さらに、パーシャウのA.16/15機は、フォッカー工場に武装搭載試験のために戻された際、(おそらく初めて)翼の取付位置を下げ、後にアインデッカー生産型の標準となる中翼形式に改められている。もっとも、アインデッカーの生産試作型として5機製作されたM.5K/MGは、原型のM.5と同じ肩翼形式で完成された〔Grosz 2002, pgs. 6-8.〕。
アインデッカーはどのタイプも重力式燃料タンクを使用していたが、それはパイロットの背後にある主燃料タンク(E.IIから備えられた)から手動ポンプで燃料を揚げ、常に満たしておかなければならないものだった。そしその作業は1時間あたり最高8回も行わなければならなかった。方向舵昇降舵はバランス式のもので、尾翼には固定された部分は無かった。この構成の結果、アインデッカーは縦操縦(ピッチング)と方向操縦(ヨーイング)に非常に敏感であり、特に昇降舵の過敏さは、未熟なパイロットにとって水平飛行を難しいものとしていた。ドイツの撃墜王クルト・ヴィントゲンス少尉は『最初の単独飛行のときの航跡のでこぼこに比べれば、稲妻だって直線に思える』と述べている。一方で、横操縦(ローリング)反応は鈍かった。これはしばしば補助翼でなく翼をゆがめることによる操縦法のせいにされるが、当時の単葉機は、たとえ補助翼を付けたものであっても、その主翼の剛性不足によってローリングが鈍いか、あるいは予測できないことが多かったのである。
E.IとE.IIの主な相違はエンジンであった。E.Iはフランス製の60 kW(80馬力)グノーム・ラムダ7気筒ロータリーエンジンのまるごとのコピーである60 kW(80馬力)オーバーウーゼル U.0ロータリーエンジンを備えていたが、E.IIはグノーム・モノスーパープ9気筒75 kW(100馬力)の、これもコピーである75 kW(100馬力)オーバーウーゼル U Iロータリーエンジンを装備した。E.I、E.IIいずれも、主翼面は原型であるM.5のものと同じ1.88メートル翼弦のものを使用した。したがってこの2タイプの生産はどちらのエンジンを確保できるかどうかに依存し、並行して生産が進められた。E.IIの多くは、修理のために工場に返されたときにE.IIIに改造されるか、またはE.III標準にアップグレードされて完成した。
アインデッカーの決定版はフォッカー E.IIIであり、E.I、E.IIよりわずかに翼弦の狭い、1.80 mの主翼を使用していた。オスヴァルト・ベルケの第62野戦飛行隊(Feldflieger Abteilung)は1915年の末頃からE.IIIを使い始めた。E.IIIの一部は7.92 mmシュパンダウ MG 08機関銃2挺で武装していた。最後のタイプであるE.IVは119 kW(160馬力)のオーバーウーゼル U.III、14気筒複列ロータリーエンジン(グノーム・ダブルラムダエンジンのコピー)を装備し、武装は、3挺装備の試みに失敗した結果、機関銃2挺が標準となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フォッカー アインデッカー」の詳細全文を読む




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